フィールド オブ パリーグ           -パ主義野球ブログ-

なが〜く愛してきたパ・リーグをゆる〜く語るブログ、フィルパリです。

【思い出選手】好きだったパの中継ぎ投手たち③(楽天) 【完全個人的嗜好で】

<
にほんブログ村 野球ブログ パ・リーグへ
にほんブログ村 野球ブログへ
何しろ中継ぎフェチなもので

プロ野球で今や欠かせないポジション。毎日のように坦々と準備を繰り返し、短い出番に力を尽くす。しぶとくて味のある、これぞプロな選手達。そんな中継ぎ投手が大好きなのでシリーズ化してみました。

f:id:Stadienne:20210516204437j:plain

 

中継ぎフェチ自認のスタ。どんな中継ぎ投手たちが好きだったっけ?の振返り第3弾は楽天。創設時の弱かった時代に頑張っていた投手たちが印象強い。

楽天


吉田豊彦

南海での先発時代からとにかく我慢強さが印象的。指名時の契約金エピソードもほろ苦い。小柄な体で弱いホークス時代を支えていたのに、扱われ方は「なんだかなあ、、、」ということが多かった。

 

チームを転々として、それでもどこへ行っても一生懸命投げ続け、やっと安定してきた近鉄時代はもう一般的には選手としての晩年。そして楽天に分配されたのは39歳の時です。さすがにもう厳しいでしょう、って思ってました。ところが、ここからまた最後の粘りを見せてくれましたねー。

 

ほんの2年ほどでしたけど、しっかりとした成績で苦労するチームを支えました。そして、やっぱりあの引退時の名言です。雨の中のセレモニーになっちゃって、最後までついてないなあ、って苦笑いしながら見てたんですよね。そしたら、あの「まだまだ投げたい!」っていう心の叫びでしたから。


あんなに散々苦労してぼろぼろになるまで投げて来たのに、まだ投げたいのか、、、ってね。そんなにそんなに野球が好きなのか、と思ってじんとしました。そういえば、花束贈呈で、ご贔屓筋さんなのか見るからに水商売風なマツコさんのような人もいらしてたな〜。普通の選手なら断りそうだけどしっかりハグもして、なーんか人情味感じましたね。

 

www.youtube.com

www.youtube.com


引退して今も大好きな野球から離れず、独立リーグの監督(高知)をされてます。きっと、「もう十分だ」となる時はないのでしょう。できる限り長い間、携わっていってほしいですね。

福盛和男

忘れられないのは日本ハムとのCS、スレッジハンマー逆転3ランですねえ。「福盛の21球」と呼ばれているらしい。まあハム贔屓で見てましてが、福盛が逆転されそうな雰囲気が満ち満ちていた、、、。にしても、そこまで劇的にしなくても、という投球でした。野村監督がベンチで凍りついていた姿が目に焼き付いてます。

 

移籍してきた当時、横浜ファンの友人からは、イケメンで評判だと彼のことを聞いていました。昭和の映画俳優的ルックス。楽天での成績はさほど振るわなかったけど、エピソードには色々事欠かない。なかなかフリーダム。何より、あの成績で突如メジャー行きはびっくり。

 

それでなくとも選手層が薄かったあの頃の楽天。引き留めるノムさんを袖にしてアメリカに渡り、すぐ帰ってきたと思ったら、当のノムさんに再雇用を泣きついたという。まあ一方の話なのでどこまで真実かはわからない。とにかく戻ったシーズンで別人かのようにしっかり働き、信頼を十分勝ち取った、からのあの21球でした。

www.tokyo-sports.co.jp


楽天での投球動画探してもあの21球しか見つからない。これにトドメを刺された感じで、翌年は故障してそのまま引退。もっと前に痛めてたけど言い出せなかったのかな、と思ったりもします。あのCSの1イニングがせめて同点止まりなら、彼のその後もまた変わっていたのかな。人生のアヤですね。

 

アクが強いと言える選手でしょうか。いい悪いではなくってね。生命力が凄いなあ、って感心するんです。赤の他人の心情やしがらみより、職場の現状や仕事での実力より、その時の自分の欲求や必要を最優先。でも、ちゃんとプロで何年も過ごしてるんです。ドラマなんかでも、こういう人物が登場すると、俄然物語が味わい深くなりますよね。

 

引退後も色々な仕事をこなしたようです。今は地方の放送局の仕事をされているとか。振り返った時、面白い人生過ごせたなって思い出すことができそうですよね。

www.nikkan-gendai.com

 

川岸 強

川岸は、オリのサトタツさんタイプでしょうか。実直にひたむきに腕を振り続ける投手。好きだったな。活躍年数を見ると2年ほどしかないけれど、とても印象に残ってる。

時代劇の浪人役ができそうな眉毛と眼光の風貌で、ほとんど笑った顔を見たことがない。打たれて辛そうな顔も見たことない。表情が変わらない。イニングが終わるまで、交代になるまで、ずっと真面目で真剣な顔で投げ続けてた仕事人。

 

西武ドームで観戦すると、たいていブルペンで赤いバランスボールに腰掛けてました。バランスボールに座って、ぽわんぽわんしながら試合を見てる。木馬に跨った子供のように、その時だけは背中にもあまり緊張感がないな、と思った。あの赤いバランスボールがお気に入りなんだな、なんて微笑ましかったです。

 

出足調子良かったシーズンの途中から突然打たれるようになり、戻りませんでした。
今は楽天のアカデミーコーチの職務を担当されてます。去年暮れには台湾の楽天モンキーズのコーチに就任とのニュースも。チームに根付いて、こちらの仕事も真面目に献身的に取り組まれることでしょう。

 

www.youtube.com

www.youtube.com

 

www.nikkansports.com

 

有銘(ありめ)兼久

川岸と同時期に左右中継ぎとして奮闘していた有銘。この2人がセットな感じがある。まん丸びっくりお目々なこともあって、川岸よりちょっぴり気弱で愛嬌あるタイプに見えちゃう。打たれ始めると叱られた子供みたいな表情に見える。ところがどっこい、実は負けん気タイプらしい。

 

やっぱり基本我慢強くて、先発だった時188球とか投げたことがあります。監督ノムさんが、早く降板しがちな先発陣に文句ブーブーだった後。交代するかと言われても、ガンとして受け付けず投げ続けたそう。速報だったか中継だったか思い出せないけど、延長でも代わらないのを見て、狂気の沙汰だ、、、と思った記憶があるな😅。


中継ぎでもいい時と悪い時が極端で、それこそガチャ感がありました。でも、なかなか体制が整わない中、一生懸命ブルペンを支え、リーグ戦での2位に貢献し、当時のチームの功労者でした。

川岸と同様に、急に打たれるようになった印象です。調べてみると、オールスターでメッタ打ちされてかららしい。ちなみに翌年川岸も同点ホームラン打たれている。でもきっとそんなに短絡なことではないのでしょう。

 

そんなところも含めて、味のある中継ぎ仕事人。今はアカデミーコーチだそうです。インタビューには、調子の良いことは言えない実直さが滲み出てますね。

www.youtube.com


www.youtube.com

 

 

青山浩二、小山伸一郎、片山博視

やはりこちらの3人もセットという印象があります。スリーマウンテンズ。個性が違うのが良かったですよね。1枚だけ当時撮った写真があったんです。

2010年7月10日西武ドーム。反対側の遠くから撮ったのでボケボケだけど、椅子に座ってる中央3人は彼らじゃないかな。メガネが小山、その右が青山、そのまた右が片山。先発が岩隈で快投してたので、のんびりムードですね(笑)。8、9回に青山と小山は投げてます。ああ川岸のバランスボール無くなったな、ってちょっぴり寂しく思いながら撮ったんです。

f:id:Stadienne:20220208183004j:plain



■青山浩二
シュッとした優男。歌舞伎なら白塗り二枚目の「ぴんとこな」という感じ。ちょっと泣き顔なので最初の頃はすこーし頼りなげでもありました。でも、紹介記事を読むと気弱というより短気なところが原因だったようです。人は見た目で計れない。

こちらの記事、いい記事ですね。若い頃は、10年以上しっかりやっていく姿はちょっと想像できないくらい不安定。でも、年を経るごとにしたたかに、頼もしい中継ぎになって行きました。目標は吉田豊彦だったんだ。コツコツやっていこうという泥臭さと静かなプライドが伝わります。今は彼もアカデミーのコーチ。SNS発信もマメですね。

kahoku.news

 

www.youtube.com


www.youtube.com


■小山伸一郎

楽天中継ぎ投手史上一番と言って過言ではないくらい、キャラが立っていましたね〜。見たら絶対忘れない。ゴーグル、半袖、でかい態度(スタの写真参照)。もうね、一度見始めたらまた見ずにいられない。飽きない(笑)。


フォームがまたルックスとあってるんですよね。あらよっ!えいやっ!って感じで。それが投げても投げてもストライクにならない時があったりする😅。いい時は素晴らしい。いずれにせよ、態度はでかい。引退マウンドまでネタになってしまうキャラでした。

www.nikkansports.com

www.youtube.com

 

www.youtube.com


チームメイトにもファンにも愛される選手。会見の言葉がいいですね。ずいぶん負けて叩かれたり色々あっただろうに、楽しさだけ思い出にして。

www.nikkansports.com


今や投手コーチです。選手時代、まだ少年だったマー君によくいじられてたけれど、去年の再会は感慨深かったでしょう。移籍してきた涌井にシンカー教えたりした模様。指導者としても頑張ってます。

 

news.1242.com


■片山博視

マウンテンズで一番活躍期間が短かった片山。ケガに泣いた感じです。試合中動画は見つけられませんでした。左腕だけど、よいしょって感じで投げるタイプだったイメージ。やっと出てきて中継ぎの一角を担うようになったな、と思ったらまたすぐケガをして復活ならず。フォームを変えたり、模索が多い選手だったようにも思います。

youtu.be


正直、投げていない時の実績は追っていなかったのです。退団後の動向も知らずにいました。そうしたら、新庄視察が話題となった昨年末のトライアウトニュースで「、元楽天の片山」と出てきた。あれ?、あの片山かな?。でも打者だなあ。それに退団したのはもうずいぶん前のこと。

 

人違いかと思ったけれど、”あの片山” でした。元々は楽天でも打者を試したほど打撃センスがあって、独立リーグで強打者になっていたのです。

full-count.jp

youtu.be


それにしても、去年のトライアウトの時点ですでに34歳。たとえ結果を残しても、採用の見込みがほとんど無いことはわかっていたはず。後日、独立リーグを知らしめたいという本人の思いが記事になっていました。

sports.yahoo.co.jp

 

投打に才能を持ちながらプロでは力を出しきれなかった。そんな片山の心残りや悔いのほどを、彼の経歴が示しているような気がします。自分の能力のもう一度発揮したくて諦め悪く野球を追い続け、今ようやく、周りの人のことまで意識を向けられるようになったのでしょうか。

プロのトップではなかったけれど、好きな野球で自分が注力できる居場所を見つけた。夢で語っているように、プロの道に進み、さらには生き残っていくような選手を育ててほしいですね。

 

創立時の弱かった時代を支えた楽天の中継ぎ投手たち。地味でも不遇でも失敗だらけでも、なんとしても野球にくらいついて生きていく、と頑張っていた。「野球人生」って言葉を感じさせてくれました。

 

そして、彼らからバトンを引き継いできた去年の楽天中継ぎ投手陣は、素晴らしく頑張ってパ・リーグトップの成績でした。今年も同様の活躍をすれば、チーム念願の優勝も見えてきますね。期待しましょう。

 

<他チーム編>

 

stadienne.xyz

 

stadienne.xyz

 

stadienne.xyz

 

stadienne.xyz