昨日の日本ハムvsソフトバンクの試合が旭川スタルヒン球場の開催でした。スタも2018年、この球場で観戦しました。そして、あの北海道胆振東部地震に遭遇しました。街じゅうの電気が止まった地震の朝。呆然としたけれど、結局地元の皆さんの優しさや旭川の町自体のたくましさに助けられ、楽しいことをたくさん体験できたのです。そんなプチサバイバル旅の思い出話で、今日の試合の雰囲気を味わっていただけたらと思います。
実は球場にたどり着くまでもトラブル続き…😅
この当時、スタは家で認知症の父と介護しながら暮らしてました。でも、仕事と介護でいっぱいいっぱいなのはイヤ。遊びはぜーったい捨てないもんね!と思っていました。気分転換に行くぞ!と決心しての旭川観戦旅行だったのです。
2018年9月5日。まずは当日朝、父を最寄駅に近いショートステイの施設まで連れて行って預けます。それから速攻で羽田に行きます。千歳から札幌に行き、電車で旭川に向かう算段。ここまではプラン完璧だったのです。が、千歳空港に降り立つと何かザワザワしている。人が溢れている。なんだなんだ?。
案内を見ると、なんと!。直前に台風が通過した北海道。JRが全線ストップしてしまっているというのです。ガ〜ン😨。インフォメーションで聞けば、旭川に行こうと思うならなんとか走っているバスを乗り継ぐしかない。まずは札幌まで。そこから旭川。それしか選択の余地がない。慌ててバスの切符を買って乗り場に行くと既に長蛇の列。なんとか札幌について、そこからまたバスの長旅。どんどん黄昏れて行く窓の外。スタの心も黄昏れる。
旭川スタルヒン球場で地方球場の温かさに触れる
やーっと旭川駅に到着した時はすでに試合開始時間を過ぎている。荷物のカートを持ったまま、今度はタクシーで球場へ。道路むっちゃ交差点多が多い上、ぜーんぶ赤信号に引っかかる。がら空き道路なのに時間がかかる。とことんついてない日です(日頃の行い説)😮💨。球場に到着したと思ったら、降車場所から入り口までがまた遠い。ずりずりカートを引きずりながら、重い足取りで歩きます。「スタルヒン球場」の文字が見えた瞬間、泣きそうになりました、ほんと。
地方球場の内野席はご迷惑なカートをなんとか収める余裕もあって助かりました。ホッとして場内を見渡せば、お客さんは内野も外野もいっぱいです。高いビルも見えず、暗幕のような夜空をバックに、緑色の美しい芝生がライトに映えます。やけに大勢のグランドキーパーさんたちも、なんだかおとぎ話の妖精のよう。
この日はファイターズが勝って、北海道のお客さんたちの楽しさもひとしお。スタンドも盛り上がりました。地方球場らしい、ちょっと古びたフェンス。その金網越しに選手の姿を追おうと一生懸命なファンの姿が印象的でした。この、年に一度のプロ野球開催が地元ファンにとってどれほど宝物の時間か、フェンスを掴む手に表れてるって思いました。
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試合が終わって外に出ると、人の足は道路の方に向かいます。選手が乗り込むバスのお見送り。大勢のファンが詰めかけて、選手たちも窓に顔を寄せて手を振っていました。栗山監督はひとり別の乗用車で帰ります。やっぱりファンに手を振りながら。
楽しい観戦が終わって駅前に戻ると、すでに町はひっそり。先ほどまでの熱気が幻みたい。
開いていたお店を見つけ、やっと食事にありつきました。隣の席にはファイターズユニを着た女性たち。思わず話かけてしまいます。スタのカートを見た人が尋ねてきます。「どちらからいらしたんですか?」。
東京から来てあれやこれやで時間がかかってしまったこと、試合も半分しか見れなかったこと、グッズももうほとんど残っておらず、記念球しか買えなかったこと。ついつい愚痴ってしまいます。そうしたらね、優しいんです、ファンの方。
「ええ〜大変〜」
「かわいそう、、、、あ!これあげるわ!」
スタの手を取り、自分が買ったピンバッジと、ファイターズ勝利の号外チラシを掴ませてくれました。何より心に沁みるお土産だな、、、。ここまでの疲れがすーっと消えていくようでした。
こうして、朝家を出てから約12時間以上のカート引きずりも終止符。ホテルに着いて立派な温泉大浴場に浸かり、ベッドに潜り込みました。やれやれ今日は1日で3日分くらい旅したわ。明日の遊びはひとつだな。旭川動物園か、それとも、、、なんてことを考えているうちに寝入ってしまいます。そして、一度目が覚めます。
「あれ?、なんか揺れてる?、、、結構揺れてる?」
起きようかなと思ったけどそのまままた寝てしまいました。東京でもこのくらい揺れるの良くあるし、警報などもなくすぐ止んだので。ところが翌朝、、、。
北海道胆振東部地震に遭遇するも幸運に恵まれ続ける
旭川のホテルでぐっすり眠って目覚めた朝、洗面に行くと電気がつきません。あれ?と思って蛇口をひねると水も出ません。まだ頭がぼんやりしていて事態が把握できない。フロントへの内線は通じました。地震で停電・断水だという説明。トイレは1階に行けば使えるし、朝食の用意もできているという。
しばらく呆然としながら外を眺めました。部屋の中は真っ暗なのに外は青空。すっごい青空。シュールな気分です。とにかく荷物をまとめ、1階に行くことにしました。エレベーターも使えないからもう部屋には戻れません。廊下は暗く、階段はもっと真っ暗。またずりずりとカートを引きずり、スマホライトを頼りに手探りで階段を降ります。この階段下りが一番サバイバルな気分でした。
1階は、道路の水道栓から水を採取していました。ホテル上階はポンプが停電で動かなくて断水だったらしい。トイレに行くと、水の入ったバケツがたくさん並んでいます。それを持ち込んで流します。バケツの用意も汲んでは運ぶのも大変だったと思います。
さらにありがたかったのは、きちんとしたバイキングの朝食を用意してくださったこと。ジンギスカン焼きなど温かく豊富なメニューをいただけました。その上、チェックアウト時にはペットボトルの飲み水まで用意してくださいました。見事な対応をしてくださったホテル、またおすすめ処でご紹介しますね。
さて、街に出ると意外にも車も走っています。が、ちょっと視線を上げれば信号が消えている。車はソロソロとお互いの常識を信じて走っているようでした。そして、お店は全て暗い。健気に営業しているコンビニやドラッグストアは人が群がっています。スタッフさんはレジを手打ちしながら頑張っていました。冷凍ケースなどを横目に見ると切ない気持ちになってくる。
スマホのバッテリーはどこも全部売り切れでした。ただ、スタは偶然にもこの旅に乾電池式のバッテリーを持参していました。なんとか買えた乾電池でスマホを使えたのが何よりの幸運。移動手段を探します。レンタカーは店のシステムが落ちて開いてない。タクシーは駅前に何台か停まってる。公共の乗り物の情報は全然入らない。
やれやれ、、、と溜め息をついた後、だんだん開き直りの気持ちが湧き上がってきます。せっかく時間を割いて遊びに来たのにこのまま終わるのか?。お金使って飛行機使ってまでして北海道に来て、ちょっぴり野球見ただけであとは災難に遭った意識と疲労が残るだけ。それで仕方ないって思えるのか?。
絶対やだな。
旭川でやりたかったプランを思い出します。動物園はもちろんアウト。もうひとつ考えていた場所に電話をしてみました。すると意外にも、「ここまで来てもらえたらやれますよ」という返事。ならば、とにかくそこまで行ってみよう。その先はまたその時に考えよう。
駅前のタクシーに聞いたら行けるとのことで乗り込みます。走りながら、あそこにはあれがある、これがあると色々気楽な話をしてくれる運転手さん。
「旭川は地震が無いのが自慢だったのにもう言えなくなっちゃうよ」
「ガソリンスタンドも開いてないからさ、お客さんが最後だな」
ちょっと道に迷った分はメーターを止めてくれました。助かりました、ありがとう。そして、受け入れてくれた遊び先でも優しさ続き。すごく楽しかった。さらには、後の相談をしたら色々調べてくれた上、旭川空港まで車で送ってくれたのです。こちらも、いずれおすすめ処でご紹介します。
旭川空港は大変な混雑。就航が止まった千歳から人が流れてきたのです。旭川はほぼ通常就航を維持していました。ここはほとんどストップしない飛行場だったのです。壁には「就航率99.1% 」を誇るポスターがバ〜ン!。
帰路で旭川空港を選んで予約していたことも、この旅の幸運のひとつでした。ホテルでの朝食以来の食事を取ります。旭川ラーメンと北海道のソフトクリーム。考えてみれば、朝食にジンギスカンあったし、そこそこ名物も食べられたなあ。ロビーのソファに腰掛けて空を見たら、この2日間はプチサバイバル旅だったなあって思いが湧きました。
こうして、帰りの便は大した遅れもなく出発となり、東京に帰れたスタ。ショートステイの父も予定通りに迎えに行くことができました。認知症の父に旅のあれこれを聞かせられないのはちょっぴり残念だったけど(笑)。
昨日の試合のニュースを見ながら、あの日の旭川のことをまた鮮やかに思い出したスタです。そういえば、飛行機に乗り込んだ時、またバスの時と同じように黄昏の景色を見ました。来た時とは違う感慨。何もかも綱渡りだったのに何もかも破綻なく済んだプチサバイバル旅。奇跡だったな。出会った人たちの強さと優しさのおかげ。そして、そんな奇跡に巡り会えたのは野球のおかげ。大変だったけどいい旅でした。