昨日、チーちゃん(金子千尋)の引退発表があり、会見が生動画配信されました。日本ハムを自由契約後、待っていたNPBからのオファーが無く、決心は2、3日前だったとのこと。スタも多少覚悟する中、何かの大逆転来ないかなぁなんてうっすら奇跡を願う気持ちもあったので、現実に引き戻された時はやっぱり寂しかったです。
会見に登場したチーちゃんは相変わらずスタイリッシュでスマートで、年齢を確認するとびっくりしてしまう。そして、ちょっぴりハラハラしちゃったな。自分から望んでのライブ発表なのに、気持ちを言い表したり質問に答えたりする度に言葉の意味を反芻しては考え込んじゃうんだもの。
なんだかオリックスから移籍した時の迷いに迷って皆をヤキモキさせた姿を思い出させる(苦笑)。でも、ちょっと重くなりかけた会見は、花束を抱えてニコニコ笑顔のお子ちゃまたちや、ハムでの仲良しチームメイト、うわっち・カトちゃん(上沢・加藤)のオトボケコンビの登場で一気に和みました。硬かったチーちゃんの表情も、最後にはいつもの、女の子みたいにかわいい笑顔。よかった、よかった。
ああ、チーちゃんだなあ、と思う会見でした。何事も適当にいなすことができず、オープンだけどざっくばらんではない。自分の思うところはどこにあるのかを確認して確認して、ちゃちゃっと割り切った見かけを装ったりしない。ちょっと煮え切らない風に見えちゃう時もある。
でもきっと、その考え込み癖のおかげですごい投手に成長したに違いない。そして、そこまで念入りに考えるタチだから、野球も論理的で周りの選手に尊敬される。真面目で優しくて丁寧だから慕われる。そういう魅力も、会見姿に表れてました。
18年も現役だったチーちゃん。若い頃からの彼の姿が走馬灯のように脳裏を流れていきます。彼への認識、スタはちょっと遅めだったんです。ぼちぼち1軍で投げ始めた頃も線が細かったし、あんなバリバリの先発エースになるとは想像できなかった。
一番最初にチーちゃんの名を目に留めたのは、例の、2006年清原逆鱗事件。キャンプを訪れたイチローが打席に立ってくれた時に、チーちゃんが初球からカーブを投げ、その年入団していた清原が変化球から入ったことが失礼だと怒ったアレです。最近の検索で出る記事はソフトな言い回しで記されてるけど、当時の新聞ニュースなどでは「一喝」って感じだった記憶がある。判官贔屓なスタなので、昭和気質のキヨにいきなりドヤされた若手が気の毒で、一気に「金子千尋」が身近な存在になりました。
その頃オリックスはAクラスも遠い時代。投手陣もイマイチだったんですが、2008年の新人、小松聖が大活躍。15勝して新人王を獲得。つられるようにチーちゃんも10勝し、しっかりローテを回すようになってきて、「お、なかなかいいじゃん!」って感じるようになりました。投球内容はまだ、そんなに圧倒的って感じはしてなかったかな。でも、細身だけど球筋がきれいでした。
で、注目し始めるとめっちゃ面白い選手なんですよ。若い頃のチーちゃん、見かけは本当に和風女子みたいに可愛いくて。ネックレスして細い指で投げ込む姿が、野球マンガの女子投手水原勇気を彷彿とさせるんです。そして、その頃の野球選手としては珍しいタイプのオシャレさん。
彼の私服、当時は「奇抜な」とか言われてたと思う。オーソドックスな男物じゃなく、デザインに凝った「ファッション」て感じの服を着こなしてね。アシメントリーの2ブロックのヘアスタイルなども彼が最初じゃないかな。今のオリックスの投手たちがみんな都会的センスの服を着こなして抜群にオシャレなのも、チーちゃんの影響が大きいはず。
それから彼のブログ!。これがまた楽しかった。野球の話はほとんどなくて、内容も文章もユルユル。服の話、食べ物の話、ご家族の話。息子さんをセガーレ(倅のこと)なんて呼び、料理の話とかほのぼの話題で和ませてくれる。今じゃ、選手たちのSNSも総じてそういう風になってますが、あの頃にそういうテイストは斬新でした。あ、ヘアスタイルとセガーレくんのブログ話題があった。
ちーたん家坊やの包丁さばきが驚異。 ちーたんブログのゆるモード回復力はさらに驚異。 金子千尋『女子力!?。。。』 http://t.co/P950ctFX #npb
— スタジエンヌ・裕子 (@Stadienne) 2011年10月23日
そんな感じでウォッチするうちに、いつしかチーちゃんは大好きな投手の1人になっていました。オリックス自体は中々強くならなかったけど、パ・リーグ全体はダルビッシュを筆頭にスーパーエースたちが百花繚乱だった時代です。そんな中では、チーちゃんもいいピッチングをしてもクローズアップされることが少ない。だから彼の写真が載っているグッズは結構大事に残しています。
⚾️ 金子千尋引退
— スタジエンヌ・裕子 (@Stadienne) 2022年12月24日
このポスターが捨てられなかったのも、クマーとちーちゃんが真ん中にいるポスターだから。若い頃のチーちゃん、ほんとに女の子みたいに可愛いかったな〜。 https://t.co/xK08MYKdaa
⚾️ 金子千尋引退
— スタジエンヌ・裕子 (@Stadienne) 2022年12月24日
これもチーちゃんやニャルが貴重で買ったっけ。
この後各球団エースたちが続々メジャーやセに移籍して行った中、2013、2014年のチーちゃんはパの投手のレベルキープしてくれるすごい成績のエースだったものね。もう恩人とすら感じてたなー。 https://t.co/JeWqnuxIB1
上のツイートで言っているように、スーパーエースたちがいなくなっていた2013年と2014年、チーちゃんは間違いなくパ・リーグのトップエースの大活躍をします。2013年は24勝0敗でチームを優勝に導くという神様だったマー君(田中将大)がいて取れなかったけど、沢村賞の全項目クリア。これは総合成績ではマー君を上回っていました。そして、オリックス自体が優勝を目前で逃した2014年はとうとう沢村賞受賞。本当にカッコよかったですよ。
スタは現地観戦できた試合は少なくて、呟きを見ると2011年10月6日の試合を観戦して旧ブログ(消失)に書いたみたい(日記つけない人だった)。オツさん(L西口文也)相手にいい投球をしたという感想ですが、残念ながら動画もなくて覚えていない。
その後ももう1回くらい見た覚えがあるなあと思ってスコアを眺めて行ったら、これだ!という試合がありました。2014年4月18日。確かな証拠はないけれど、自分の記憶の中の寒さと静けさの印象やチーちゃんのナイスピッチと動画がバッチリ一致してて。
多分、開幕戦対決したキッシー(L岸)とチーちゃんの投球が素晴らしかったので、どうしてもその対戦が見たかったんだと思う(動画のベルドでこの素晴らしい対決を見る観客の少なさに泣いた)。
記録のコメントを見ると調子はイマイチってなってます。でも、チーちゃん凄いな、って思った記憶。全然力みのないフォームから、めっちゃ伸びるストレートと磁石で地面に引っ張られるみたいに落ちる変化球(たぶんチェンジアップ)。横から見てるとボールが手から離れるのは同じ所なのに、途中から打者の肩の高さと足首の低さに分かれていく。ムチを振ってるみたいだったな〜。その試合の時はわからなかったけど、無双の年の始まりでした。
こうして書くと、やっぱり思い出はオリックス時代のことばかりになっちゃう。でも、日本ハムに移籍してからも奮闘してたんですよね。ぼちぼちな成績だった移籍1年目よりむしろ、苦労していた直近2年の姿の方がスタの心には残ります。自分のことで大変なのに、日本ハムの若い後輩たちに色々伝えようとしている姿。技術のこと、道具のことなど、惜しみなく教えていました。
そしてやっぱり今年の6月、鎌ヶ谷での伊藤光(De)との邂逅は一番しみじみしたなあ。黄金バッテリーがお互い別のチームの選手としてファームで対戦する時の流れ。お互い苦労があって大人になって、大げさに懐かしみ合うこともなく淡々とした物腰のふたりがいいなって思いました。
⚾️ ちーたんと光対戦す (鎌ヶ谷のある日)
— スタジエンヌ・裕子 (@Stadienne) 2022年6月10日
思い出を内に秘めて人は歩いていきます https://t.co/50tA8yPhKQ
この後も頑張ったけど力が蘇ることはなく、昨日の引退会見となったチーちゃん。もう1球でもいいから彼らしい投球を見たかった。でも、コーチ留学したら、彼のことだからすごく重要なポイントを山ほど見つけて吸収して帰ってくるし、若い選手たちに上手に伝えていくでしょう。それもまた新たな楽しみです。内心は、吸収したことを活かして奇跡の復活しないかな、なんてまだ往生際悪く夢見たりもするんですが😅。
最後に大好きなスマートエース、チーちゃんの美しい投球時の手指について書いた記事をまたご紹介しておきます。フィルパリブログの中でも一番の人気記事です。未読の方は呼んでみてください。
ではでは、チーちゃん、お疲れ様!。そして長らく楽しませてくれてありがとう!。