一昨年亡くなったスタの父は偏屈者で無趣味で、スポーツが、特に球技が大っ嫌いな人でした。
野球好きの母とスタにテレビのチャンネルを奪われるといつも、「フン、こんなくだらん球遊びのどこが面白い」と文句を言いながら自分の部屋にこもってしまう。
そんな父が一度だけ野球に目を輝かせた時があります。
へそ曲がりな彼を感嘆させたのは、2000年の東京ドームで見た、メジャーに行く直前のイチローでした。
あまりよく覚えていないのです。正確な日にちとか。
その後もう1回見るチャンスは、イチローのケガ離脱で訪れなかった。
東京じゃないと父が絶対行かない。
スタの誕生日(6月27日)を口実にした。
おぼろげな記憶から当てはまる東京ドームの試合の日程を辿ってみました。
5月23日、24日(水・木)に日本ハム東京ドーム主催試合の相手がオリックス。
たぶん、このどちらかだったんだろうな。
待ち合わせとかできる人じゃないのでスタが有休ですね、きっと。
「イチローがアメリカ行っちゃうよ、最後に1回見とかない? 誕生日の付き合いで」
当時は別居していたので、春先に会食した時に誘ってみました。
イチロー知らないかもな、めんどくせーわって渋るかもな、と思ったら予想外。
さすがの父も、ニュースがイチローの話題で持ちきりなのは聞いていたのでしょう
「イチローか、、、いいな、行ってみるか」
こうして、野球嫌いが生涯初観戦決行です。
途中で飽きないか?
だんだん不機嫌になるんじゃないか?
もう帰ろうって言い出したりしやしないか?
こっちはもう気が気じゃない、試合内容とか頭に入ってこない😅。
スタジアム入り口辺りのざわざわで、すでに戸惑う世間知らずな高齢親父。
人混みだけで疲れ始める。
どうやってワクワクさせようか?
あれこれ話しかけても、「ああ」「うん」としか返事がない。
しょうがないので先を歩かせ、暗い通路階段を登ってスタンドに出た時でした。
「ほお!」と、彼が小さく嘆息をしたのです。
「ライトが明るいんだな」
と、呟きながらしばしグラウンドを見つめていました。
父は小学校の図工教師をしていたので、芝の緑にライトが作る影に惹かれたらしい。
席は外野が見やすい内野席。
着席すると、ちょうどオリックスの選手たちが練習中。
そして、父は見てしまったのです。
当時のオリ外野練習名物だった、イチローの背面キャッチを。
「ほおぉ〜〜!?」
彼の嘆息は明らかに大きくなり、もうイチローから目が離せない。
「すごいな!」
「球を見ないで取っておるな、曲芸だな!」
この日の試合内容は本当に全く覚えておりません。
ただ、父は最後まで飽きずに観戦し続けることができました。
文句もひと言も出ませんでした。
やがて試合が終わって球場を出て、暗い夜の街に向かって歩き出した時に、彼はぽつりとこう言いました。
「野球ってのは、きれいなスポーツだな」
その後再度観戦に連れて行きましたが、二度目は飽きてしまい、それが最後。
10年後、同居を再開した時の父はもう認知症が始まっていて、一緒に行った旅のことなどもどんどん忘れて行きました。
※ちょっと不機嫌な時の父
なのに、彼はイチローのことだけはずっと覚えていたようです。
機嫌の良い時、野球を見てるスタにしばしばあの日のことを話しかけてきましたから。
「お前と一緒にイチロー見たな!」
「あの時のイチローはすごかったなあ!」
※機嫌よく思い出す時の父
いや、あの時だけじゃないんですけどね、とスタは腹の中で苦笑いです。
でも、一度だけ見たスーパースターが彼の心に残した印象は、こちらがいつも野球で受けとる感動以上に強いものなのかもしれない。
あの日からずっと、スタはイチローに感謝し続けています。
野球嫌いの父に「野球はきれいなスポーツだな」と思わせてくれてありがとう。
最後の最後まで野球を見たらよみがえる、楽しい思い出をくれてありがとう、と。
※一般の方撮影の一昨年の背面キャッチ動画