フィールド オブ パリーグ           -パ主義野球ブログ-

なが〜く愛してきたパ・リーグをゆる〜く語るブログ、フィルパリです。

【思い出選手】好きだったパの中継ぎ投手たち⑥(西武) 【完全個人的嗜好で】

<
にほんブログ村 野球ブログ パ・リーグへ
にほんブログ村 野球ブログへ
何しろ中継ぎフェチなもので

プロ野球で今や欠かせないポジション。毎日のように坦々と準備を繰り返し、短い出番に力を尽くす。しぶとくて味のある、これぞプロな選手達。そんな中継ぎ投手が大好きなのでシリーズ化してみました。

f:id:Stadienne:20210516204437j:plain

 

中継ぎフェチ自認のスタ。どんな中継ぎ投手たちが好きだったっけ?の振返り第6弾、西武。南海時代はあまり覚えている選手がいませんでした。ダイエー時代は多いけれど入れ替わりが激しかったかな。強くなり始めた頃の中継ぎたちが印象的。

西武



永射 保

左変則中継ぎコレクションしたら、一番初期の部に入ってくる投手。最近、人気の野球番組にゲスト出演なさった半年後に訃報が流れ、驚いたオールドファンも多かったですね。親会社の変遷で揺れていた頃のライオンズに入団し、西武になって最下位だった年も投げまくってたと思います。当時のライオンズなんてテレビ中継もないし、スポーツニュースも結果だけ。子供だったスタは、新聞のライオンズ結果を見て、東尾とか基とかと並んでしょっちゅう書かれてた名前だったので覚えました。”永井” ではなかったので、最初は「なんて読むのかな? えいしゃ?」とかって思ったんですよね。

 

その後チームも強くなり、中継ぎに徹した彼は、「左殺し」のワンポイントで印象に残る仕事を重ねます。クールというか、面構えがね、迫力あるんですよ。ちょっとふてぶてしいくらい、肝が据わってる感がありました。そして投げる球は、背中から来ると言われてましたけど、テレビの画面で見ていると、当てに行ってるんじゃないかと一瞬びっくりするぐらいの軌道。それが途中からふわ〜ときっちりコースに入ってきて打ち取っちゃう。1打席が見ごたえ十分な勝負になる、楽しいスナイパー投手でした。

sportiva.shueisha.co.jp

 

今回調べてたら、太平洋クラブライオンズ時代はオフに自衛隊でアルバイトしてたってエピソードが、、、すごい時代😅。当時のライオンズ苦労してました。西武になって運命が変わったんですね。引退後は地元の九州で野球関連の仕事をするとともに、少年野球を教えたりスナックを経営したりなさっていたようです。

 

投球については動画が残っていますが、同じ投稿を皆さん掲載しているようでした。本領発揮の投球ではないのですが貴重ですね。それを含め、唯一2人への投球姿があったものをご紹介しておきます。

www.youtube.com

 

 

潮崎哲也

アイドル投手でした。西武のモテ投手振返りとなれば、先発でトレンディエースだったナベQ(渡辺久信) が真っ先に取り上げられるけど、実は潮崎がナンバーワンだったんじゃないかな。めっちゃキャーキャー言われてた。そりゃもうかわいかったですからね〜。プロ野球aiの常連。スーツでしゃべるインタビューあった。

www.nicovideo.jp

 

どう見てもやっぱりかわいーなー。細身(小柄かと思ったらそうでもなかった)でこのルックスで、それがプロ野球の猛者たちを究極ゆる球で手玉に取っちゃうわけで。本当に少年漫画のピッチャーみたいでしたもの。モテないわけがない。代名詞は魔球シンカー。でもストレートもちゃんとスピードあった。

column.sp.baseball.findfriends.jp

 

www.youtube.com

 

下の記事では「ピンポン球みたい」と表現してるけど、少し違う気もする。前回ハム記事のマイケルの変化がピンポン球。潮崎のは、あそこまで揺れる感じなかったな。どっちかというと紙飛行機みたい。一回ふっと浮いたかと思ったら急にストンて落ちていくあの感じ。

sportiva.shueisha.co.jp


あんなにモテたのに浮いた話も出ることはなく、マスコミ関係行けば引く手あまただったろうに引退後はずっと球団の仕事で通した実直派。今や編成の重鎮ですね。ああアイドル潮崎でさえ、ちゃんとおじさんになるんだなあ、と感慨深いものがある(笑)。代表になった時の思い出のインタビューと、その時チームメイトだった与田の潮崎に対する感想が面白かったので紹介しておきます。

japan-baseball.nittsu.co.jp

与田剛(野球解説者)<後編>「音が違った野茂、潮崎のピッチング」 – SPORTS COMMUNICATIONS

 

西崎幸広

実を言えば、西崎については日本ハムの先発時代からのファンです。ファンていうか、西崎が入って日本ハム贔屓が決定的になったというぐらい好きな選手でした。今でこそクマさん系ラブだけど、やっぱり若い頃はシュッとした系に憧れますもの。ルックスだけでなく、投球がまた良かったんですよ。女性人気沸騰伝説がよく語られますが、男性ファンにも人気ありましたから。それだけの魅力は確かにあったんです。ということで、西武編なのにハムの思い出話に傾くのをここだけご容赦くださいませ。

 

フォームがほんとに美しかったんです。軸足つま先立ちで、左足あげた瞬間は鶴とか鷺とか、そういう鳥がスッと佇んでるみたいに優雅でした。で、糸を引くような球筋がめちゃきれい。しかも気が強くてね。スタが思い出すエピソードは2年目の開幕戦。あの頃テレビ朝日がハム戦中継してくれてたから、それで見てたのかな。リードして完封ムードもあった後半、走者を置いての投球で最高のコースに行った決め球をボールって言われたんですよ。そうしたら、「はぁ?」って顔になって全部同じコースに投げ始め、もちろん主審も全部ボールジャッジ。そして連続四球で押し出しして交代😅。完全に2人の意地の張り合いで、キャッチャーもベンチも抑えられないって感じでしたね。あんなにカッカしながら全部同じコースに投げる西崎も凄いわ、、、って苦笑いしました。

※その試合のスコア →  日本ハムvsロッテ 1回戦


そういう鼻っ柱の強いピッチングが、ルックスと相まってファンを惹きつけたのです。向こうっ気は特に西武相手の時に発揮されました。清原にはストレート勝負って決まってて、最初にノーノー未遂した時も、変化球なら絶対打ち取れたはずなのに見え見えのストレート投げてホームラン打たれたり。でも結局ノーノーの相手は西武だったり。インタビューなど読むと、やっぱり本人は楽しんでいたそうな。確かにそういう感じのピッチングでしたっけ。

pacificleague.com

 

球団ともすったもんだの末、好敵手だった西武に移籍。縁ですね。そうそう、移籍になった1997年のいきさつをウィキで読んでいただくと、先発予定だったのが寝違いで直前回避のエピソードが載ってます。その試合見に行ったんですよ、予告先発してたから。そうしたらスタメン発表、投手が違う、、、😭。当時はネットなんて便利な情報源もなく、その場では理由も不明。はぁ、、、って凹みながら観戦しました(笑)。


彼はずっと内転筋の故障に悩まされていたのですが西武に移った年も良くなくて、ああやっぱりダメかなあ、と思っていたら最後の最後、日本シリーズで中継ぎ登板。えっ!と思いましたけどさすがの投球を披露し、これをきっかけに翌年は守護神役で大活躍。そういう形で復活を遂げるとは予想していなかったのです。若きエース時代のホットな投球とは対照的な、クールにかわすピッチングが新鮮でした。それで、西武の中継ぎ投手としてあえてピックアップしました。

 

両時代の投球をまとめてくださっている動画があります(感涙)。現地観戦でブーマーとの対戦見た時、火の出るようなピッチャーライナー止めたりしてたなあ。ドキドキした。カッコ良かったな、やっぱり、、、。

www.youtube.com


動画の中でもテロップが出ていますが、フォームが変わってます。ハム時代、高くあげた左足のつま先は力感なくきれいに伸びていたけれど、西武時代は足をあまり上げず、つま先は下駄を履いてるように上がっています。少し重心も後ろがかりですよね。内転筋悪いから、影響少ないフォームを工夫したのでしょう。日ハム時代も、試合で快調に投げてた途中でいきなり足を押さえて動けなくなることがあったりしました。騙しだましの投球、大変だったと思います。最終的にはその古傷の影響で引退となりました。


引退後は解説などメディア関係の仕事をこなし、娘さんと一緒にバラエティーに出たりしています。一時は距離があった日本ハム球団でも、今はOB会長をするなどしています。しかし、現場に戻る気配はありませんね。ハムのイベントに行った時に、サインをもらうことができました。はっきり言って、ファンあしらいとか上手くなかった(笑)、つうか下手っぽい😅。気性は明るいし面倒見も良さそうなんだけど、言葉とかフリーダム過ぎたりする。今やサービス業の要素も重要なパ・リーグ野球なんで、なかなか現場から声はかからないかもな、って感じました。

f:id:Stadienne:20220312174336j:plain


でもサイン嬉しいんですよ、やっぱり。ワクワクした頃を思い出せる宝物。字もシュッとしてるもんな。巡り合わせでタイトルは少なかったけど、ほんとに絵になる素晴らしい投手だったし、不人気と言われ続けたパに明るさをもたらしてくれた選手でした。

 

豊田 清

先発でも中々の成績でしたが、中継ぎに転向してから大ブレークしたと言える投手。全盛期の安定感は素晴らしかった。マウンドに上がった時の、胸に手を置いて祈る儀式が印象に残ります。動画はオールスターのものがありました。タイトルを取った頃なので、お祭りでも見事なピッチングです。

www.nicovideo.jp


もう、ほぼ「危なげ」という言葉とは無縁の守護神でした。抜群の制球力で淡々と押さえてしまう。何も起きない。たまには劇場ほしいぜ、なんて思っちゃうくらい何もない。ストイックな選手で、気持ちのコントロールも完璧でした。今でいう「心を整える」というやつですね。でも実は理想が高過ぎて短気なところもある。それでケガしたりもしています💦。

www.dailyshincho.jp

 

先発時代に大勝ちできなかった原因はケガもあったけれど、もしや理想が高すぎて長いイニング集中が保てなかったからで、押さえに転向させた東尾監督もその辺りを見越したのかもしれません。そういう自分を制御するために、胸に手を置く儀式は大事だったのでしょう。

column.sp.baseball.findfriends.jp


あまりに西武時代の成績が良すぎて、FA移籍後の印象が薄いけれど、セットアッパーとして読売の優勝に貢献。引退後はセ・リーグでコーチをしたり解説業をしたりしていました。FAは待遇などに不満があっての宣言という感じもあったから、西武とももうそのままかと思っていたら、2020年コーチとして古巣復帰します。その前年に中継ぎ時代の心構えについてのインタビューに答えていますが、コーチとしても心の整え方を伝えているのかもしれません。

www.youtube.com

 

現役時代は気難しさもあった豊田ですが、コーチになってからは見守るタイプのような雰囲気もあります。着任早々には森脇パパに強気の投球を教えて開眼させました。若い子への対応も柔軟なようで、自分の記録を抜いて新記録達成した平良のマイペースぶりには目を細めていたりします。

www.sponichi.co.jp

www.nishinippon.co.jp


昨年快投を続けた武隈なども含め、豊田コーチになってから安定する中継ぎ投手も増えた印象ですね。とはいえ去年はボロボロになってしまった西武。若い先発陣がまだまだ不安定なだけに、中継ぎ陣にはますますの頑張りが求められます。さらなる不動心を植え付けてあげてほしいですね。

 

許  銘傑(シュウ ミンチェ)

後世にも語られる名選手の後、なぜ許さん?。我ながら、剛球ストレートを続けた後にチェンジアップ、どころか山なりシェイク投げた感があります😅。シーズン完走した年も少ない。成績も西武最終年以外はかっつかつ。しかし、なんだか好きで記憶に残ってる。外国から来てコツコツコツコツ投げ続け、気がつけばFA取得してるし。才能キラッキラってタイプじゃないけど、凡極まりて非凡つうのかな。昭和のお父さんの働く姿が重なる感じ。

※↓先発時のインタビューですが真面目

www.youtube.com

 

クビにならなかったのは元々入団時から9年という異例の長期契約だったから、と言えばそれまでですが、FA取得するにはある程度1軍での実績も必要です。振り返れば、全然ダメだったという年は意外と少なかった。もうあかんか、、、と思わせながら、先発やらロングリリーフやら中継ぎやら任されたところで実直に務め、シーズン中どこかで一時期必ず頑張って翌年に希望をつなぐ。実にしぶとかった。メガネ(ゴーグル)をかけて気弱そうなルックスとはうらはらに、仕事に対するたくましさがあった。2011年の中継ぎとしての仕事はすごく彼らしいなあ、と感じました。一般の方がまとめてくださってる動画があります。ありがたいです。

※↓この年この勝利の後、中継ぎで大活躍

www.sponichi.co.jp

 

www.youtube.com

 

そうやって、結局今もプロ野球の世界で働き続けています。FA後の活躍はならず台湾プロ野球に復帰後引退。台湾のチームや西武のコーチを経て、一昨年楽天の台湾球団のコーチに就任しました。台湾選手について、気持ちが大事と熱く語る言葉に真面目な人柄が滲み出ます。また、恥ずかしくても日本語を話そうとすることが大事と語るコメントを聞くと、本人も渡日した時に感じたのであろう苦労や孤独が偲ばれますね。経験を生かして日本で活躍する選手を育ててもらいたいですね。

 

www.nikkei.com


外国人選手の枠を越えて親しまれた右腕 西武に帰ってきた"台湾の星" | Full-Count

【球界ここだけの話(1412)】来日4年目の西武・郭俊麟、環境に順応し始めた未完の大器(1/2ページ) - サンスポ

 

www.sponichi.co.jp

 

髙橋朋己

しょっちゅう勝ち試合をひっくり返され、「西武の中継ぎ😅」みたいな感じで頼りなさが揶揄されていた時代がしばらく続いた後、彗星のように現れたのがトモミーでした。思えば実質3年ぐらいなんですよね、活躍期間。本人の信条通りの本当に太く短いプロ生活。鮮烈でしたね。めっちゃ好きだったな〜。猪首でずんぐりした愛嬌のある容姿。入団の頃から普段はいつもニコニコ笑ってて、人のよさ丸出し。なんだか魚市場で手ぬぐい鉢巻にゴムの前掛けと長靴で駆け回ってるのが似合いそう。

www.tokyo-sports.co.jp

 

新人で登板し始めた頃ね、あれ?って思いました。当時の西武の中継ぎ投手たち、登板してピンチになると、もうだんだん目が泳いでくる感じの選手がほとんどだったんですけど、トモミーは何か違う。なんだかピンチの時ほど嬉々として投げてる感じがあった。そして、押さえるとぴょんとガッツポーズして、コロコロと飛び跳ねるようにマウンドを駆け降りていくんです。うっれしそうなんですよ、ほんと。雪が積もった庭に飛び出していくマメシバみたい。そして、守護神になっても度胸のピッチングは変わらなかったですね。

www.youtube.com

 

www.youtube.com

 

気迫がすごい。痺れるわ、、、。インタビュー動画があるんですけど、投げる時の気持ちを語る時になると表情が変わるんですよね。思考自体が本当に強気な選手だったんだなってわかります。スタはこのインタビュー大好きで、何度も見てます。そんなトモミーでも投げるのが辛くなった時期があったというから、やはり守護神は大変な持ち場ですね。

www.youtube.com

 

www.nikkan-gendai.com

 

入団前から肩を痛めたりしていたし、あの投げ方だし、壊れる覚悟はしてたのでしょうか。肘の手術をした後、一度は戻ってきてくれるんじゃないかってずっと待ってたんですけどね。肩もやっちゃったと聞いた時諦めがつきました。スタ、アキレス腱の他に肩腱板も断裂しちゃってるんですが、痛い時は反対の手で持ち上げないと机の上まで手が上がらなかったです。スーツとか着るのも辛いと思う😅。なんかね、今でもトモミー帰ってこなかったなあ、って思い出すと涙出ちゃうんです。迷子になったワンコが帰ってこなかったみたいな気持ちになるんです。

number.bunshun.jp


引退後は球団のアカデミーコーチとして働いているトモミー。SNSも活発にやっていて、ほぼ広報。ユニクロラブで話題になった頃から何せ朗らかですからね、向いてます。

www.nikkansports.com

世話好きなおばちゃんみたいにケラケラ笑いながらせっせとお仕事しています。どんどん仕事の領域広げていってほしいですね。ベルーナドームに観戦に行くといつもトモミーいないかなあ、って期待するけど未だ目撃したことはない。でも、いつかトモミーたちが開催する大人の野球教室に年甲斐もなく参加して、一緒に朗らかに楽しんでみたいなって思っています。

www.seibulions.jp